初夢と思いきや…
新年になって10日ほど過ぎ、今更ながらですが、皆さん、初夢は見たでしょうか?
初夢とは、元旦(1月1日の午前)に見る夢、すなわち紅白歌合戦の後の就寝で見る夢だとばかり思い込んでいましたが、広辞苑によると「正月1日の夜。または正月2日の夜に見る夢」となっています。なので私が初夢と思っていた夢は、初夢ではなく、終夢(ラストドリーム)。正月1日夜か2日夜に夢は見たと思うのですが、憶えていません。
今回は、2017年の初夢だと私が勘違いした、奇想天外な夢について記します。
昨年8月に私は家の墓地に先祖代々の水子地蔵を建てました。なぜかにわかに先祖に感謝の気持ちを示したいという衝動に駆られました。母はとても喜び、私自身も親孝行、先祖孝行ができたと思い、2016年一番の思い出です。
その水子地蔵の石像を、亡き父がハンマーで粉々にする夢を元旦に見たのです。
その地蔵は、私にとっていま一番大切なモノです。それを父は、私が必死で制止する手を振り払い、ハンマーで石像を粉々に叩き割り続けるのです。元の姿が分からないほど粉々に叩き割られたショックで呆然と座り込む私。地蔵の頭の部分を父は差し出し、それを受け取り、ずしりとした感触を手に抱いた状態で私は目を覚まします。まるでホラーです。「えらい初夢を見てしまった」新年早々そんな心境に襲われました。
夢の記憶があるうちに、話を整理しました。なぜ父はそんな行動をしたのか? 記憶の糸を手繰り寄せました。
理由は定かでありませんが、私たちはこの町、あるいは地球を脱出しなければなりません。持って行くモノには限りがあります。私は自分が建てた地蔵を持って行こうとしましたが、そんな重たくかさばるモノを持って行けるはずがありません。せめて頭だけでもと父が持たせてくれたのです。とても奇想天外な内容、奇怪な父の行動ですが、話を整理すれば父の行動は理解できますし、逆に感謝をしなければなりません。
私がこの夢から得た教訓は、「すべてを叶えることはできない」「完璧なことを望んではいけない」です。
地蔵をそのまま持ち出せるのが理想ですが、状況的に無理です。しかし一番大切な頭を持ち出せるのはとても幸運なこと。妥協することの必要性を、父が教えてくれたと解釈しています。
そう考えるととてもいい初夢を見た気分なりました。しかし、これは初夢ではないことを知り、いまはとても残念に思っています(苦笑)。